休むのって難しかったな~
休むのって難しかったな~
と言うことを、思い出しています。
今でも、自分はちゃんと休めているのか定かではありませんが、
日常生活に支障がでるほどにはなっていないのと、
以前よりはうまくやっている点では、よいです。
意識しないでも休めていた
疲れたら休むなんてことは、どういうわけか意識せずにうまくやっていました。
子供が生まれるまでは。
私はわりと健康で、体に無理をさせてもよほどのことがない限り、
自覚するような不調を感じることが多くありませんでした。
年齢的にも若かったことも重なり。
自分のことだけやっていればよかったときとは違う育児では、
生まれたての子供に合わせて以前より無理をしても
体は耐えていた(と自分では思っていた)ので、
先に、精神がすさみました。
気づけば体もやせていました。
体重が落ちてることにも気づいて修正しなかったほどにガリガリーに。
休むことを自分で決めるのが難しかった
ちゃんと休まなかったツケは、毎日じわじわと心身を蝕んでいました。
一気にクルんじゃなくて、後でガッツリきてしまった結果になっていることにも、
自分でわからなかったほどに・・・・・・。
ジワジワ時間をかけてやったことは、
良いことだけではなく、よろしくないことも、自分に返ってきます。
寝る、食べると言う、基本的なことが、うまく出来なくなっています。
意識の面でも。
休まないといけないことが、なんとなくわかっても、
どうしたらいいのかわからなくなっていました。
ちゃんと休まず心身ともにじわじわやばくなってしまっているのを自覚し、
自分がちゃんと寝られない、ちゃんと食べられないのに気づいたとき、悲しくなります。
が、
思いきってたっぷり寝たり、食事を取るように心がけることを自分でやろうと決めてやれるようになれば、復活します。
早寝早起き、三食食べる
と言ったことは、「自分をうまく休ませるための習慣」のわかりやすいテンプレートみたいなもんだと、最近思うようになりました。休ませるって言うか、維持するためのほうがいいかな?
このとおりにやらなければいけないわけではないけど、便利なものだと思います。
疲れているサインに気づこうとしていなかった
今でも自覚しにくいのが疲れ。
自分の小さな疲れのサインを意識的に探るということをしたことがありませんでした。
明らかに、体が疲れまくっていると言うのはわかっても、
自分の小さな疲れのサインを自覚していませんでした。
体に出るもの、頭痛とか肩こりとか目が疲れるとかは自覚しやすいんだけど、
気持ちが悲観的になっていたり、口数がへっていたり、笑ってなかったり。
そんな小さなサインに、はやめに気づけるようになったのもごく最近。
自分が今ベストな状態ではないことを自分でわからなければいけないことに、
だいぶ長いこと気づかなかったなあ。と思いました。
無理できる健康な体は幸せなことだけど、
休むことなどに鈍感であるというデメリットもあることに気づいていませんでした。
休まないと自分はどうなるか把握していなかった
体を休めることだけではなく、心を休めることというのも大事なことです。
人に対して辛らつになにかを物申したい気分のときがありますが、
単に自分の心が疲れているだけだということに気づかなかったりします。
おや。今日はスッキリ気分がいいねえと言う日は、そんなこと思わないのにねえ。
とわかったとき、前日の辛らつな発言の失礼、恥ずかしいばかりです。
休むことと言うのは、誰かがそれを指示してくれるわけでもなく、
自分でうまくやらないといけない。
ということすら知らなかった自分はなんてお気楽能天気に生きてきたのだろう。
育児をして心身ともにグダグダになってはじめて
休むことの大切さに気づかされたのでした。
自分だけでそれが出来ない時もあり、いろんな人に助けてもらいました。
それに気づけた今でも、自分の休むサインが自分でわからないときがあります。
そんなときに、身近な人が、「休みなよ~」と、声をかけてくれるのは、ありがたいことです。